LOGOS-喜びを分かち合い、悲しみをともにするために-

HISの「雪化粧の飛騨の里ライトアップと世界遺産白川郷・飛騨高山&氷の芸術「氷点下の森」飛騨牛特別御膳付!憧れの「5つ星の宿」2日間」その2

6時45分からの朝食は2会場。「どちらも空いています」と係りの方の説明、そしてでも洋食会場の方が景色がきれいかと…・との言葉にそちらをチョイスさせて頂きついていくと窓側の席。まだちらちらと雪は降り続いています。
最近のホテルは朝食はバイキングが多いですが、ここの種類はすごい!!和、洋、そして郷土料理なんでもござれ。

お腹いっぱいにして部屋に戻ろうとすればロビーは朝食会場待ちのお客様の列。僕の感覚では洋食レストランだけでもものすごく広いのですがそれでも待たなければ入れないほどのお客様。収容人数はすさまじいものなのでしょう。
早めに行ってよかった!!

めったなことでは泊まらない高級ホテルを後にして僕らはまたバスの人に。そして10分ほどで高山の街へ。
町はずれの鉄砲町にある高山別院照蓮寺さんの駐車場にINN。昔ながらの町並みの保存をしている高山の街は大型バスを止める場所が少ないようで、このお寺さんが観光のために一肌脱いでいるのでしょう。
バスを降りて朝市の店が立ち並ぶ宮川までは添乗員さんがエスコートしてくれ、2時間後にバスの駐車場で…と解散。昨日の白川郷もそうでしたが、ここでも海外の若者がとても多いです。ローカルファストフードのみたらし団子や五平餅、そしてなぜかたこ焼きが人気のようでした。
連れは折り紙のお雛様を購入。

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宮川の反対岸は昔からの商店街。観光客が川の反対を通るために少しさびれた感はあるものの、リノベーションを施した新しい店がまた新たな高山の名店を生み出そうな感じもします。

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そして予てから猫好きのF娘さんとチェックをしておいた和菓子処稲豊園さんへ。
みごと猫子まんじゅうGet!!

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これで高山の目的はほぼほぼ完了。じゃあ上三之町でもぶらつきましょうか…。

古い街並みに似合った刺し子のお店。

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ちょっといい?の同行3人の声に引きずられて入店。

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ビフォー・アフター間違いを探せ!?おっとその手の荷物と破顔の表情は何を意味する!!??
 連れとの古都めぐりでは1回は口にする「クレジットカード使えますか?」(笑)

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応えは柿渋染めの総刺し子のバッグ。
でも、ふだん贅沢をするわけじゃないので旅の楽しみの一つと致しましょう。
飛騨さしこさん

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高山名物からくり人形をつかった宣伝や去るぼぼならぬ丑ぼぼを見ながら歩いたらあっという間に2時間経過。
何度か行っている高山だったけれど以外に新鮮で面白かったな。

さて、ここからバスに乗り90分。秋神温泉という秘境の一軒宿のご主人が始めた氷点下の森へ。
木々に水をかけ凍らせた滝のようなつららの森です。
思った以上に広大な敷地に何と言ってもご主人の話術とパフォーマンスが最高。

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夜間やとても寒い日はシャボン玉さえ凍るとのことですが残念ながらこの日は普通のシャボン玉遊び。

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そして凍った蔵の中には熊の涙と言う銘酒が雪どけを待っているそうです。

暖かい地方に住んでいる者が贅沢に、しかも他人様の運転の観光バスで遊びに行くだけなので辛さはみじんにも分かりません。本当に楽しい2日間でした。
あとは舞台峠でおいしいお昼を食べて帰宅です。

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途中事故渋滞のために国道20語に迂回をするなどドライバーさんは最後まで大変でした。本当にお疲れ様でした。

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  1. 2019/02/18(月) 22:11:17|
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HISの「雪化粧の飛騨の里ライトアップと世界遺産白川郷・飛騨高山&氷の芸術「氷点下の森」飛騨牛特別御膳付!憧れの「5つ星の宿」2日間」その1

キャンピングカーを手放して一番の不便は思い立ったらすぐに遊びに行けないこと。逆に一番の恩恵は他人任せで旅行を楽しめること。
デメリットを「負」として思い悩んでいてもしょうがないので、メリットを有効利用しようと、スタッドレスを持ち合わせのない僕がチョイスしたのは雪国探索。いつのF母娘にお声をかけて海老名のモンベルで「アイスグリッパー」ソールの靴を買って・・・そうもう若くないからね、踏ん張りがきかず雪上で滑ってこけたらかっこ悪いし怪我でもしたら迷惑をかける(笑)・・・、HISの「雪化粧の飛騨の里ライトアップと世界遺産白川郷・飛騨高山&氷の芸術「氷点下の森」飛騨牛特別御膳付!憧れの「5つ星の宿」2日間」を申し込み。

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何十年ぶりにペアー物(^-^;

都庁に7時45分集合というのは、ローカル線沿線に住む者には朝駆けでも不可能。そんな訳で新宿に前泊。
どうせ行くのならと訳の分からんこだわりで、歌舞伎町の「ホテル白川郷」をチョイス。
15日仕事を終えて20時のロマンスカーに乗り込み、出発!

目指すホテル白川郷は古いけれど、温厚な支配人さんと掃除の行き届いた部屋でした。

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しかし金曜の夜です。道路の反対側はホストクラブなどの入った飲み屋ビル。若い女の子の大声な笑い声が6階の部屋まで聞こえます。そして酔っ払いが道路の真ん中を歩くせいか時折響くクラクションの音。不夜城の如く明け方まで続いた騒音に熟睡したようなしないような感じで7時前に起き、AllNigetで遊び明かした若者がたむろしているCVSで朝ご飯を買い、大江戸線東新宿駅に向かいます。
ここから2駅、終点の都庁前で降りればバスターミナルとの説明。しかしGoogleMapをみてもなんとなく納得できない(笑)、まぁ行ってみればわかるか。

A2出入り口を降りれば隣にバスターミナルがあり、なるほど、と思うものの、そこにいるのは、クラツーさんやオリオンさんの旗を持った方ばかり。HISのバスは何台も止まっているけれど青い旗は見えず。
しょうがない、バスに荷物を積み込んでいる人に聞けば受付はこの奥とのこと。
なんだ、道路際ではなく奥に受付があるのね。

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それでもバスに無事に乗れ、買った朝食を食べ、うとうとしているうちに諏訪湖。道路の日影にかすかに雪が見えるようになってきました。
ちなみにドライバーさんは柿谷さんおひとりで、今日も7時から18時まで、明日も8時から20時までの長丁場、しかも雪道。若さゆえなしえる業なのでしょう。
長野道を松本で降り国道158を走ります。僕をスキーに誘ってくれた友人のホームゲレンデは乗鞍だったので昔々パジェロにスパイクタイヤをはかせてよく走ったものです。
そんな道を運転しないで乗っているだけでいい幸せ(笑)
それにしても雪が少ない(>_<)

さて、添乗員さんは鈴木さん。若手からベテランの域に入りつつあるエイジの穏やかな方。そして今回旅行をご一緒するのは総勢36名。
4割がカップル。4割が女の子の友人同士。残り2割がファミリーといったところか。
雪の白川郷と高山というネームバリューは女の子を引き付けるのかもしれません。

安房トンネルを超えて平湯で休憩。雪不測の日本でもここまで登れば雪はある(^^♪

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ここから先は高度が上がれば雪山、下がれば雪なしを繰り返し、その都度一喜一憂。
そして最初の観光地、白川郷へ到着。乗用車は長蛇の列ですが、観光バスは優先的に入れるのでストレス・フリー。
添乗員さんから見どころを聞き、2時間の探索を開始。であい橋を過ぎることから日本語が聞こえない別世界。

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例えばアフリカのサバンナに旅をすれば地元の人は当たり前に見れる(?)キリンやライオンに嬉々とするのと同じ、白川郷に住む人にすれば当たり前で、もっと言えばなければいいのに・・・と思う雪も、雪なし県に住む僕らや雪なし国にするアジアの人々にとってはテンションの上がる風景で、しかもその民家がわらぶきでできた合掌造りならなおのことでしょう。

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集落外れの和田家の横から城山に上るバスがあるといいますが、1時間に3本のマイクロバスで、その人気ぶりですぐに乗れる確率はあまり高くないらしい。次のバスを20分待つのは2時間の滞在時間の中においてあまりにもリスキーということで歩いて上がることにします。上り口には案内板があり道幅5mほどの完全除雪の道は多くの観光客が同じように歩いて上がっていきます。

この萩町城は内ヶ島氏の城の一つだけれど、お館(天守がない)だったらしいです。この内ケ島氏、足利将軍の馬廻衆から織田に仕え、本能寺の変の後に攻めてきた秀吉の家臣金森長親の懐柔により家臣が寝返り秀吉の傘下に下ったらしいです。
それでも所領が確約されたので祝いの席が主城の帰雲城で設けられることになり家臣ら多くの人たちがこの城に集まった時に天正地震が直下で起こり、城の山ごと崩落し一夜にして内ケ島氏は滅亡してしまったと言います。その地震の規模たるや、どこに城があったのかも今もってわからないとのこと。
まことに悲運な一族です。
こんな話を聞くと内ケ島氏の跡をめぐってみたくなるものです。

そんな歴史も知らずにただただ豪雪に耐える白川の合掌造りの美しさを眺めました。山から下りるころに少し雪が降ってきました。
白川郷では3軒のお宅が家中を見学させてくれています。その中の1軒長瀬家に立ち寄りました。
集合時間が迫ってきているので駆け足で3階まで。囲炉裏の暖かい空気が上まで上がるように板張りではなく緩い格子に編んだ床。こうして使用人もお蚕さんも暖かく冬を過ごせるのでしょうね。
それをさかさまに考えれば屋根まで囲炉裏の空気が温めてくれるわけで、つまり生活している家であればあるほど屋根の雪は少ないのかもしれませんし、そんな暖炉の熱を打ち負かすほどの豪雪というものを思えばそのすごさを感じてしまうのです。

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さてバスに戻りここから高山にある飛騨民俗村へ。ここは周辺でダムに沈む運命の地から合掌造りの家を移築し資料館として再現したものです。明治村でもそうした文化的資産の保護は大変厳しく、結局資料館ではなく観光地化にしてでもお金を落としてもらわなければならず俗化してしまったわけですが、そのジレンマは痛いほどよくわかります。ましてやこの雪深い地にあって改修の度合いは明治村以上でしょう。何とかして少しでも観光客をというのは文化的な資産を知ってほしいとともに観光収入で保存を挿せようという明治村のそれと同じジレンマが夜間照明なのかもしれません。
それはある意味成功しているようで、日が暮れた後も続々と観光バスが訪れていました。
暖かい甘酒のふるまいを頂き一周歩きました。

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今日は温かな1日でした。モンベルのジオラインシャツの上に薄手のカシミアセーターと中厚の同セーター、そしてダウンパーカーを着込めばまったく寒さを感じることもなく返って城山への坂道を登れば、汗かきの僕はうっすらと汗をかいたほどです。
それでも日が落ちた後のこの観光地を一周歩いているうちに寒さはじんじんと身に沁みます。
這う這うの体でバスに乗り込み10分ほど坂道を上った今夜の宿ホテルアソシア高山リゾートへ。
ここは5つ星ホテルとHISも目玉の一つとしております。
僕らの部屋は13階でした。

5つ星ホテルと昨晩泊まったツイン(2人で)12000円のホテルの違いは何なのでしょう?
                ビジネスホテル       リゾートホテル
夕食              原則B&B        豪華夕食付
風呂            部屋の水道水の風呂   温泉(大風呂)
部屋の大きさ       狭いベッドルーム+α   広く優雅         
トイレ(レストルーム)  ユニットバスとトイレ兼   ユニットバスとトイレ兼
調度品           プラスチック多様      ガラス、陶器をふんだんに使用
アメニティ          歯ブラシ、クシ等     歯ブラシ、クシ等
こんなところが目に付くのかな?アメニティは使い捨てなので多くを語りませんが、4つ星ではなく最高ランクの5つ星なら、部屋風呂は不要でせめてシャワーにし、その浮いたスペースでトイレとシャワールーム(レストルーム)をセパレートにしたら高級感が出そうなものです。なんかどこのホテルに泊まっても風呂とトイレが一緒だと残念に思ってしまうのです。

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それでも夕食はおいしかったですよ。暖かいものは暖かく、冷たいものは冷たく、の大原則通り、飛騨牛をおいしく頂きました。
迎え撃つは3種飲み比べセット。三車、氷室、蓬莱。飲み比べと言いながらどれも淡麗ちょい辛。唯一蓬莱がフルーティだったけれど、飛騨のお酒ってみんなこんななのかなぁ?
それでもほう葉味噌のような焼きみそにはすっきりした飲み口のお酒が合います。

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風呂も大きかったです。客数が多いためか殺菌の塩素臭が強かったのとカランの鏡の汚れが気になりましたがまぁしょうがないのかな?

加湿器が部屋についていたので利用させていただき睡眠。
そして朝起きれば・・・

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雪見風呂を楽しみ、朝ご飯を食べに行こう!!
  1. 2019/02/18(月) 20:16:28|
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「カキゾエ黄門」漫遊記

本が届いた。
WebSiteで先生が綴られた物を紙媒体にするというのは、実はウォークのお供をさせてもらった最中の出来事を先生がコメントしてくださったので、校正の段階で確認が来たので一足先に知り得て、インターネット本屋で予約をしていたのだ。

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そしてFaceBook等でPRが出され装丁をみて金井真紀さんのおっとりとした優しい絵が、まさに垣添先生のお人柄を現していて来るのを余計に楽しみにしていた。
表紙はウォークの垣添先生。モンベルで統一したコーディネート。グリ-ンのウィンドブレーカーにオレンジのバックパック。色遣いもおしゃれだった。その“おしゃれさん”がそのまま表紙で微笑んでいる。

大雪の福岡を旅立ち神奈川に着いたのは3月も半ば。道中の先達などとんでもない、初めて降りたいずみ野駅から行ったことのない神奈川県立がんセンターへ向かった。
汗っかきな僕は歩き始めてすぐにクールメッシュ ラウンドネックシャツ1枚になった。そんな暖かい日だった。

神奈川東部は谷戸の町だ。等高線の入っていないGoogleMapの地図だけ持って行ったがその道は過酷を極めた(笑)
平坦な道を歩くことなく常にアップダウンが続いていた。
が、平行でない視線、つまりは見上げたり見下ろしたりする視線の先の街々はとても美しかった。
庭にある木々、公園の木々もそうかもしれない。草花や自然を愛でる時、その多くは平行でない視線と言う、非日常の美しさに見とれるからかもしれない。

富士山は多くの日本人が好きな山だが、それは独立峰の稜線の美しさだけではなく、どっしりとした雄大な山を見上げるからかもしれない。
春のスミレやタンポポ、秋のオミナエシやキキョウなど、視線を落としたところに可憐に咲くから愛おしいのかもしれない。

町もふっと路地の先が階段になって降りたところに違う段の家々が並んでいると、おもわずそんな路地の階段を下りて行きたくなる。この先の住宅街はどんななんだろう?そんな衝動に駆られるが、今日は先生のお供であり頼りない道案内なのだ。

それはこの横浜の街でも、また町田の丘陵でも、歩くことで何かが発見できる。そんなワクワクの旅ができる。
さすがに3500kmと言う途方もない距離の中ではそんなお気楽なことは言っていられないかもしれないけれど、ご本を読ませてもらって他の街の魅力もたくさん教えてもらった。
47都道府県、知らない町を歩くのも一興だな、とがん支援だけでないウォークの魅力も教えてくれる一冊だ。

ただ今全国の書店、インターネットで絶賛発売中。ぜひお買い求めてウォークの楽しさ、(出会った)人の優しさを知ってもらいたい。
  1. 2019/02/08(金) 21:48:21|
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永き旋律

人に会いに行くのなら『台湾』だけれど、夢を見に行くのなら『大陸』かもしれません。夢と言っても一獲千金の夢ではなく、悠久の歴史がまさに自分の足元で起こったのだと目を閉じその時代を思い起こしながら妄想する夢であります。
新婚旅行で30余年前桂林や昆明を旅したものの、その後の中国の米日の追従の発展を見聞きし少し幻滅をしていた中で、ちょうど1年前「空海」と言う映画を見に行きました。映画の内容は大好きな夢枕獏氏の原作と大きく外れ少し残念でしたが、湖北省・襄陽市に367,000ヘクタールの唐の都長安を6年かけて作ったセットはそれでけでも映画代を払える見事なもので、久々に中国と言う国に興味をもったのです。

そして、昨日友人から上海に引っ越すという連絡。上海のそばには「上に天国あり、下に蘇州・杭州あり。」と呼ばれた景勝地、水の都蘇州・杭州がありますが、そこから長江(揚子江)を800km上ったところに漢口(ハンカオ)があります。

さだまさしさんというシンガーソングライターがいます。思い起こしてみれば一番最初に好きになったのが「フレディもしくは三教街」だったかもしれません。
ナヨっとした女々しい詩を書く奴だ、と言う、それはそれで正当な評価もありますが、僕の中では、目をつぶって聞くと情景が本当にわかりやすく聞こえるという叙事詩的歌詞作家で、その最たるものは反戦詩でもあるこの曲です。

家族から聞いた話を詩にすることの多いさだまさし氏ですが、この曲も母親の若き頃の思い出話がもとになったと

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とさだまさしさんの母親は著書にそう記しております。
フレディ、あなたと出会ったのはハンカオ
揚子江沿いの外灘(バンド)であなたは人力車夫を止めた


さだまさしさんの母親が親類を頼って大陸に渡ったのは1942年。前年末12月に真珠湾攻撃をしかけたものの物資に乏しい日本は急速に形勢が逆転。そんな中見た大陸はまだまだ雄大な土地にのびのびとした雰囲気での生活を送っていた、とも書かれていました。
特にアヘン戦争や日清戦争を経て諸列国に国土と税収入を支配され、租界と呼ばれる中国の中の異国の町。それが、英国、、フランス、三教街(ロシア)、ドイツ、日本と自文化の建物を並べたエキゾチックな街並みは今想像しても素敵な場所だったと想像できます。

三教街のケーキ屋を覚えている?
ヘイゼルウッド(ケーキ屋の名前)のお爺さんの
何て深くて蒼い目
いつでもパイプをくゆらせて
アームチェアーで新聞を広げてた


歌には脚色があるでしょうけれど、空襲を気にすることなくまだ居れたのでしょう。
そんなゆったりとした時間が流れる大陸で、さだまさしさんの母親は、日本人租界からロシア人租界である三教街を抜けて英国租界の会社に通っていたそうです。そんな通り道のドイツ人租界でアパートメントの窓から見下ろしていたドイツ人の若者に淡い恋心を抱きますが、1944年空爆がドイツ人租界を襲い彼の居たアパートも含めすべてが無くなっていたそうです。

けれどもそんな夢のすべても
あなたさえも奪ったのは
燃え上がる紅い炎の中を
飛び交う戦闘機


そんなハンカオの街はもうすでに近代国家中華人民共和国の大都市。わずかに残っているのは古い建物をリニューアルさせたいくつかだけだそうです。
でもその中には、さだまさしさんの母親の勤めていたアンリハウス(現勝利飯店)はあるのだそうです。

そのあとは日本は悲惨な末路をたどります。子連れでは日本にとてもじゃないけれど帰れないよ、と言う言葉に親切な農村の方々が子どもを預かってあげよう。命があって落ち着いたらおいでなさい、と情をかけてくれた家庭に残された残留孤児。彼らが生みの親と対面するシーンが1970年代にTVでもよく報じられました。
国家は体制として規律を重んじるために情を捨てます。ですから中国と言う国が好かん国だと思う時もたびたびありますが、それでも素朴に情をかけてくれたたくさんの人の居る国でもあります。

友人の引越しで急に旅心と古い歌を思い出しました。
  1. 2019/01/28(月) 21:03:30|
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舟原日向の石造物調査

昨秋からご無沙汰になってしまっている石造物調境。定例会も冬のお休み時期なので、自主調査だけでもと、Fさん、Iさんと我が家2人の4人で、北舟のTさん敷地内と熊野神社を調査。

Tさん宅は敷地内なので事前に調査依頼済。家のちょうど裏からがけを登り小道を進みます。裏山が崩れるといけないとコツコツご家族でコンクリートを吹き付け土止めをなされているとのこと。

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確かに山が崩れつつある中の石造物ですので半分埋まっていているものが多かったです。文字のバランスからみて板碑の下半分と座台の石がまるまる埋まっていると思われます。
写真の板碑のほかにも天衣を羽織った馬頭観音、弓、矢、宝輪、未敷蓮華をもっているから愛染明王(?)6手合掌の青面金剛 の船型庚申塔、寒念仏供養塔など9点もががけの下を向いています。年号が刻まれている物を見れば、多くが江戸中後期のもの。
高台になぜ? 通行できないところになぜ? と場所がとても不思議です。
敷地所有者のTさん曰く、ここには水路があって村の人たちが水を汲みに来た時にお参りされたのでは、といわれます。寒念仏と言う村の方々の苦行の記念なら水汲みと言う公的な場所でもわからなくはないですが、それでも目線が合う場所につくらなかったのか?という疑問は消えません。

しかし、石造物と言う歴史的文化財が山の崩落で半分埋まっていることに対して公的な費用で保護はできないものでしょうか?

写真は僕らが通常行っている作業である小麦粉をたんぽで凹に入れ文字を見る最中の状態。このあと水で洗い落して現況回復をします。
お礼を言い、熊野神社に向かいます。

こちらにもまったく詳細不明の石造物が半分地中に埋まっていました。

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後からコンクリで下の座石に固定したようですがなんなのでしょうか?神社の総代さんは自治会長が兼任と言うことで、現在の自治会長さんはお若い方なので、地の古老の方にお聞きすればわかるでしょうか?

歴史ある久野のこと、まだまだ知らないことが沢山です。
  1. 2019/01/19(土) 23:10:03|
  2. _StoneMonument
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本を選ぶ ということ

得てして本を購入する際には、人から勧められた本と、時間つぶしに立ち寄った本屋で衝動買いした本に分かれる。
前段の三島由紀夫氏に関する本は雑誌編集者の町田厚成氏のBlogを読んで興味を示したものであり、後者の東野圭吾氏のは1時間ほど余った時間をカフェでつぶすために小田原駅で購入したものだ。
時同じくして購入した。

件の町田氏のBlogのコメント欄にも記したが、三島由紀夫氏は好き嫌いの前に拒否反応を示して読んでいない作家だ。
多くの作家が自死の最後をしている。が、そこには、物書きの自分の限界を感じてしまった部分や逆にこれだけの文学を認めようとしない社会に対しての批判があるように思う。自らを殺そうとした自殺ではなく世を儚んでの絶望の自死だ。
が、三島由紀夫氏は、日本社会の主義主張に対しての決起を「国軍であるべき」自衛隊さえも真剣に受け止めないことに対しての抗議の割腹自殺だった。文学とは関係ない死を選ぶ。
何故だ?と言うのが

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町田氏がBlogに記したこの本だ。

それによると
1970年三島氏は遺作となる大作を、それまでの過程をすべてぶち壊す最後の数ページを記したのち自衛隊に押し入り、大演説をしたものの自衛隊員はその演説に奮起をすることなく逆に失笑を受け割腹自殺をした。
当時10歳の僕は大ニュースになりながらも、有名な作家が時代錯誤の割腹自殺という表面面のニュースを聞いただけで、その経緯や意義、思想に触れることはなかった。あまりにも奥手で無知であり、なおかつその死の方法に否定をしたからだと思う。

その10年前の60年から日本は安保問題に揺れる。父親は全専売で旗を振っている執行部だったらしく社会党で数少ない総理である片山哲氏の色紙がうちにあるくらいだったが、何しろ僕は無知で奥手なので「あんぽんたん」と言う言葉があり、そんな言葉の響きに似ているだけの僕の生活とは全く関係のない話だった。
そんな世の若者が反米、反戦、反貧困、反差別になびくことに反発し、現人神の天皇のこの国家のために立ち上がれと言いたかったのかもしれない。

町田氏はこんな本も紹介してくれた。

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「(息子の三島由紀夫から)『昨夜一気に書き上げた』と渡された原稿を一読して、私は全身の血が凍る思いがした。
 どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。
 『手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々から低いがぶつぶつ言う声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、2・26事件で死んだ兵隊たちの言葉だということが分った』
 怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、息子に何かが憑いているような気がして、寒気を覚えた」

そして、友人の三輪明宏氏も三島氏の後ろに霊が見え、そのことを三島氏に語るとその特徴を聞き「ああ、それは磯部浅一という将校だ」と答えるとその霊はすっと消えた、と語ったらしい。

キリスト教の信仰は、そういうオカルトじみたことを語ることを好まない。しかしそれはいわゆる「霊感商法」と言う捻じ曲げた宗教まがいの悪徳商法に引っかからないような対策なのかもしれない。げんに後者の存在が分かった瞬間姿が見えなくなった話を読んで僕は聖書の中のエマオへの道のシーンを思い出したし、前者のことも異言を語る者がいるということに通じる何かを感じてしまう。

三島氏の自殺は自らの意志でもあり、もしかしたら自ら以外の意志なのかもしれない。英霊の聲は、2・26事件の将校の霊の話だ。お国のために、現人神のために命を懸けたのに、(戦後)天皇は神ではなく人になってしまった。神になら人生をかけるのは吝かではないが、人になるとは何事だ、と言う霊の言葉が三島氏に憑依したのならあの事件は納得できてしまう。神国日本を再興しようという闇の力がシンクロした人間の肉を借りて湧き上がってきたのかもしれない。

そんなことを漠然と思った時に購入したのが

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「変身」はカフカの代表作だが、もう少し現実的な変身だ。
人間とはどういう生き物なのだろう? 遺伝子操作が出来、細胞培養技術が進む昨今、たぶん僕と言う人物を作るのはもう可能なんだろう。
僕の細胞を培養すれば、身長170cm弱、体重70kgのぼぉつとした顔の男性は作れる。が、たぶんそのTakeもどきはTakeの記憶を持ち合わせていないはずだ。1960年以降の五感を駆使した様々な出来事は脳と言うハードディスクに格納されるが、このハードディスクは酸素と言うエネルギーが送られなければデータを失うからだ。このデータは遺伝子ではない。
ならば、脳移植をしたら、その後のその人はだれか? がテーマの小説は、前記の三島氏の憑依とは別の憑依を感じる。
人間の行動とは何か? 人間は何の力で行動しているのか? 己か?他のパワーか?

本を紹介してくれたので読むということも一瞬の小さな憑依で、どんなに紹介されても読まないという選択肢もあるのに、なぜ僕は読んだのだろう?なぜ…読まされてしまったのだろう?
  1. 2019/01/11(金) 00:54:01|
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ナウリコット村の子どもたちと絵を描く旅

敬愛する金先生がライフワークとしている表記の旅行。
この村はネパールと言う地にある。もちろん名前は知っているが、チョモランマ登山の起点であるとかポカラ宮殿があることくらいしか知らない。
中世の欧米人が未知の国としてジパングを見ていたように僕らもネパールを神秘の国と言う目で見ているのかもしれない。
中国がチベットを支配下に入れ、インドがチベット仏教のダライラマ師を保護しているという21世紀後半の世界の二大強国になろう2国に挟まれた小国。
しかしそんな国が、チベット国や清国、そしてイギリスと戦ったというのはあまり知られていないのかもしれない。知らない歴史に関して現代の側面だけでチベットと中国の関係を見ている自分が情けなくもある。
まぁいい、そんな小国の中にナウリコットと言う小さな村があり、金先生は毎年そこに行かれているのだ。

それだけではない。僕のこのBlogを見た友人が数年前に同行した経緯もある。
関わらざるを得ないとしてでも関われば興味がわく。
2016年12月先生のチャリティーバザール展へ

そこで、この村のことを少しだけ知る。
子どもたちは絵を描くことを知らない。つまり画材も紙もない村。お互い向かい合って目の前のお友達の顔を書いてみようというと大きな紙の片隅に小さな絵を描くという。
その衝撃的な言葉を聞いた瞬間、僕は半世紀前に戻った。僕もそうだった。もったいなくてつかえない子だった。そうしてとっていて黄ばんで使えなくなって捨てざるを得ない子だった。
それが絵を描く喜びを知ったあと、画面いっぱいの大きさになり、タッチが力強くなった。(この写真集に載っている彼女らの絵に)知人の田島征三氏の絵を感じた。

そんなナウリコットの村へは、タイバンコクへ行き、そこからネパールの首都カトマンズへ行く。ここからはヘリなら1時間、くるまならなんと16時間かかるそうだ。
写真を見る。枯れた河川だ。灰色の、しかし大きな石から砂までありとあらゆる大きさの石の中をちょろちょろと水が流れる。広大な水なし川の底を走るようだ。
もちろん春になれば恐ろしいほどの雪解け水がこの川幅いっぱい流れるのだろう。そんな時は命がけでわずかな水の無い部分を走り抜けるのかもしれない。

そしてたどりつくのが標高2500m程度のナウリコット村だ。
登山や山岳ハイキングが好きな人ならよくよくご存じの南アの千畳敷カールと同じ程度の高度だ。チョモランマを中心とした地球上で一番高い山岳地帯の中では麓なのだ。

当初はこのボランティアを断わったと金先生は言う。寒冷の地において、靴もない、洋服も満足にない子どもたちに絵を学ぶ余裕があるのか?
しかし、金先生に依頼をした人は貧しさから抜け出すのは教育だから、と先生を説得して取り組みが始まったと聞く。
2016年12月先生の展覧会で知ったネパールコーヒー。その美味しさとそしてフェアートレードに少しでも関われればと、我が家も横浜でフェアートレードの店舗を運営しているところからコーヒーを購入している。
貧しくてもいいとあきらめてしまったら貧困から脱出はできない。
それは日本でも同じで、野宿を余儀なくしている人でも、脱出しようと努力したり、楽しみを見つけて人生に喜びがあると、そんなに遠くない先に野宿生活から脱出している。
たぶん絵を描きたい、音楽で楽しみたい、本を読みたい、学校に行きたい、そうしていくことが大事なんだろう。そして少しだけ先に経済的な発展をした僕らは上手に手を差し出せればいいな、と思う。

しかし、美しい景色だ。
これはどんなに景気がいい国でも作れない、大自然の美だ。
これだけは死守してほしいと思うのは、僕ら経済が行くところまで行ってしまった人間のエゴだろう。がエゴイストと言われてもなくさないでほしいな。

201812270-01

そんな写真まで(もちろんベースは子どもたちであり、その生活であるわけだが)が載っている写真集。
僕の友人の皆さんでご希望の方がいましたら、ご連絡を頂ければ購入の仲介いたします。
240ページのカラー写真集で2500円は破格値です。
  1. 2018/12/27(木) 22:33:43|
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炎上弁護士

【序】
「盗み」を分類すると3種類に分かれそうな気がする。
1.その物に財産的価値を感じて資産として盗む場合。いわゆる単なる泥棒・強盗のたぐいだ。
2.その物に商品的価値を感じてコレクションとして盗む場合。痴漢が下着を盗むなどだ。
3.その物自身に価値は感じないが盗み自身を目的とする場合。若者や老人の万引き事件はこの類だろう。

そうした中、童話桃太郎の鬼は、はたして何のために桃太郎アイランドから物を奪ったのだろうか?
少なくとも上記3 ではないと思う。
もう少し考えれば、桃太郎の絵本の最後のシーン。大八車に千両箱や財宝の数々を山のように積み、サルが曳き、キジが嬉しそうに飛ぶ姿をみて、室町時代以降の乱世の時代で千両箱を持てる農民などいなかったこと、コメを年貢として放出した農民がアワとともに食するキビしか食材で提供できなかった貧しさとともに考えればまことに不思議な光景だ。
鬼はなぜ千両箱を持っていたのか? にはいくつかの推測ができる。
A.換金ルートがあった。財宝が欲しかったのだが、桃太郎アイランドにはなかった。そこで強奪搾取したものは、いずこかで換金し、金銀財宝に変えた。当初の盗み2項を彷彿させる。
B.金銀財宝を桃太郎アイランドから持ってきて、お宝として保管していた。持っていることに意味を見出すのならこれも盗み2項だ。
C.同じく桃太郎アイランドから持ってきて換金ルートを通じて替えるまでの間の一時保管として持っていた。これは盗み1項の目的だろう。

僕は鬼ではないので鬼の気持ちがわからないが、Aである必然性は懐疑的だ。とすると、BであれCであれば、アワ・キビしか食べれない寒村になぜ金銀財宝があるのか?が不思議に思われる。
僕らは、提供されたストーリーという情報のみで善悪を判断していたのではないだろうか? あってはいけない財宝がなぜあるか?を解明しないで、鬼のところにわたったからと言って鬼を悪者にするのは正しいか? をいつも冷静に見つめる必要があると思うのだ。

コンピュータゲームのジャンルにRPG(ロールプレィングゲーム)というのがある。いわゆるドラゴンクエストに端を発した今なおゲーム界の王道の一つだ。
最近は通信システムを使って見ず知らずの「仲間」とともに敵に向かう。
ご存知のない方もいらっしゃるでしょうから御説明をさせて頂くと、敵の魔物と戦い勝つと経験値がもらえ、それがたまるとスキルが上がり生命力などが増える、という仕組み。
そのため最初は弱い敵と生命力が低いものどうして戦いあうわけだが、主人公は生命力がどんどん上がっていくのに対し敵の魔物は同じ経験値のまま。そのかわり次から次へと新しいキャラクターの魔物が現れゲーマーを飽きさせない。
そしていくつかのターニングポイントでボスキャラとよばれる強く生命力の高いキャラクターが出てくるわけだ。
一人では勝てないような相手だと、バーチャルの画面の中で同じボスキャラのそばいにいる見ず知らずの「仲間」と会話をし一緒に戦う。「仲間」がどんな人かは老若男女全く分からない。男性が多いRPGの中において優位にゲームを進めたいがために女性になりすまし、「私、初心者で弱いんですぅ~」とちやほやされるのを狙う人が現れても全く分からないのがバーチャルの世界。
「いやぁやばかったね」「手ごわかったですな」などと上っ面な会話を残し別れたらもう二度と会うこともないバーチャルなお付き合い。それでも一時は「仲間」として時を過ごすわけで、「本当の(この世に実在する)」その人は必要ないのだ。
今が良ければそれでいいのだ。

【破】
主人公は、正義の勇者なわけだ。絶対的な正義であり、その前に現れるのは正義に楯突く悪でしかない。
時代背景がどうであろうが関係ない。物語ゆえにそんなものはどうにでもあとづけ解釈がくっつけられる。桃太郎だって、なんでおじいさんとおばあさんが千両箱を持てるような豊かな暮らしをしたかなどどこにも書いてない。ただ鬼は悪者で、正義の使者桃太郎が成敗するだけのことだ。
主人公が鬼を殺戮しそして彼らの持ち物を強奪をするだけだ。しかし、それは正義の御旗の元、正しい殺戮であり正しい強奪なのだ。
RPGの主人公も正義の勇者ゆえに、たとえゲームの最中で死んでもよみがえる。何度でもよみがえり悪のボスキャラと戦うのだ。
戦い戦い、挙句の果てとうとう倒す時が来る。困窮があればあるほど、そのあとの達成感は快感であるのだ。
ゲーマーはまるでこの世の中で俺が正義の勇者であるように錯覚するのだ。

この手の話はゲームだけではない。例えばM.エンデの果てしない物語(ネバーエンディングストーリー)の中においても、いじめられっ子の引きこもりの少年が、物語の中で主人公となり王女を救う冒険の旅をする。
そこには、現実でできないバーチャルの世界にしか活躍の場を得られない若者の存在があり、その逃げ場なのかもしれない。
また、「任侠物」の映画を見終わった人が映画館から出てくる時に皆肩を威喝かせてでてくる、という笑い話もまんざら嘘ではないのだろう。
一例を挙げたが、人は弱い。強くなりたいが努力は嫌なのだ。だからバーチャルな世界に入るとつい同化してしまうのだろう。感情移入すればするほどその気は強くなるのだろう。

【急】
だが、そこで終わらなく現実とバーチャルが交じり合ってしまうのも人間の脳がなせる業なのかもしれない。
現実世界の中で、出来事のバックグランドも調べることもなく、そして自分自身が正義の勇者になってしまうのが、この本の怖さなのかもしれない。

20181220-01

2チャンネルという匿名性。まさにその中ではバーチャルなのだ。ハンドルという隠れ蓑をきるのは、上記で記した「私、初心者で弱いんですぅ」という女性言葉を僕が使っても誰も僕が還暦近くのオヤヂだと気づかないのと同じだ。
じっとボスキャラを探す。ボスキャラとは何か?
それはクラス内でのいじめと同じ、「出る杭は打たれる」というやつで、弱くても強くても何でもいい。出来が悪い奴でも出来が良すぎるやつでも構わない。モグラたたきのゲームのように最初に飛び出したやつをボスキャラと呼ぶだけだ。誰でもいいのだ、だれでもいいから目立つやつを狙う。
唐澤氏は「正義」で飛び出した。ただ、新しい開拓をインターネット犯罪市場に求めただけだった。が、見事にボスキャラに祭り上げられた。
ボスは強ければ強いほど叩きがいがあるようだ。RPGなら、武器で攻撃をする、魔法を浴びせるなどなどだが、これは現実だ。
武器で攻撃するのはともかく魔法などはない。が、情報をUPするという卑劣なことで精神を追い詰める。

北村年子氏の1982年冬に起こったいわゆる「横浜浮浪者襲撃殺人事件」をテーマにした講演を横浜寿の町で聞いたことがある。多くのホームレスの方もいる中で彼女は、加害者の中学生を責めても解決につながらない。彼らも被害者だと語った。
事実だと思うが、勇気のいる発言だったと思う。仲間をごみのようにした中学生をかばう発言をどういう気持ちで聞いたかはひやひやすることもあったが、本当によく言ってくれたと思っている。

バーチャルの世界でしか居場所がない彼ら。そこは自身がヒーローになれる場所。卑劣なことをしても「匿名」が守ってくれる場所。
ここにしか居場所がないので自分の住みいい場所でいなければならない。逆襲されて居場所を失うわけにはいかない。まぁ万が一ばれそうなときはアカウントを変えればIPアドレスも変わるので、「新」ヒーローとして登場すればいい。逃げ道はある。
そしてその世界においては正義の勇者であるのならボスキャラを倒さなければならないという現実とバーチャルのカオス。

たそれをだ卑劣な奴らだ、というだけでは解決にならないことは唐澤氏も書かれていたし、北村氏のいわんとする加害者だけを非難したところで変わらないというものだ。
とかくストレスの多い社会において、自死者数、精神疾患者数は先進国の中でも1位というありがたくない称号を持ち、それでも働なければ生きられない、家にいれば怠け者という烙印を押す、なんでこんな世知辛いんだと愚痴をこぼすことさえ許されない世の中。社会が楽しくなければバーチャルに逃げたくなるのはわかるし、匿名で攻撃することでストレスを発散したくなるのはわからくはない。でも、それによって被害を被る人がいるのならそれはやはり絶対にしてはいけないことで犯罪だ。

筒井康隆氏が1970年ころに「だばだば杉」という作品を書いた。俺の夢の中だから何をしてもかまわない、と好き勝手なことをしていたが、みなお互いこれは俺の夢の中と言い合い、挙句の果て誰かが夢から覚めるとその存在すらみな消えた、というような内容。
バーチャルだって何でもしていいわけではないのだ。

短絡的に言えば、ネットの中の犯罪は卑劣極まりない。正々堂々という言葉が全く通用しない場所。
しかし、そんな非難だけでは解決にたどり着かないような社会に日本はなってしまったのかもしれない。
  1. 2018/12/20(木) 19:30:08|
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猫女房

「小田高なんだって!!」 神奈川と言っても西のはずれのわが町では有名人などとんと知る由もない40年ほど前。まぁ、垢抜けた仲間内は高校生にもなれば東京まで簡単に遊びに行くが、そんな田舎でもなおさら田舎に閉じこもり、その中でもおくての僕は大学に行って東京の味を知る訳です。
「お前、『首都圏』で生活しているんだろ?街を案内しろや」と地方から出て来た友人と初めて歩いた原宿や青山、そして井之頭公園など、「おれも初めてだ」とも言えずに一夜漬けの東京マップを頼りに歩いたくらいだから、芸能人など出会ったこともなかった訳です。
『花王名人劇場』で、ヤスキヨ、B&Bらとともに人気のあったコント赤信号の1人が地元の名門進学校小田原高校の出身であるというニュースは衝撃でした。この町からそんな有名人が生まれることはない、芸能界なんてわが町と無縁だと思っていましたから・・・。
しかし、方向性の違いでコント赤信号はそれぞれの道を歩むようになり渡辺さんや石井さんと違って小宮さんはTVのブラウン管にはあまり出ることはなくなり、いつしか衝撃の興奮も冷めていくのです。

20181217-01

続いて小宮さんを思い出すように意識したのは2011年9月。露木順一氏と黒岩祐治氏が神奈川県知事を争った選挙前。露木氏が高校の同級生の小宮孝泰氏を応援弁士として立てれば、横浜では黒岩氏がラサール石井氏を弁士として立てて、久々にコント赤信号がまるで代理戦争の如く火花を散らしたものだからマスコミも面白おかしく掻き立てていましたが、明らかな東高西低の神奈川の解消を露木氏とともに真面目に語ったのを会場で目のあたりにしました。

・・・本を開けると、2011年9月28日・・・つまり僕らが「生」小宮さんを見た前日の奥さんである佳江さんの日記が書かれていて、すでに末期がんの彼女に
『痛みを我慢しすぎないように』
と医者から言われたとある訳です。もちろん小宮さんがそんな状態に置かれていることは、会場の僕らは全く知らずにいたわけです。

そもそも芸能人だから、著名人だからとあまり他人の家族の結婚や離婚などの話を見聞きするのは好きではないので、小宮氏自身が結婚をしていたことも存ぜず、そして若年性乳がんで天に召されたのも存じませんでした。
が、昨日何かの番組でそうした事実があり、サバイバーとケアギバーの間には、思いあう故に言葉にはできないことがあり、お連れ合いの死後、心に秘めたもやもやを書いたノートを見て、居てもたってもいられなかった、と言う小宮氏をみて、氏の書かれた本を購入してみました。

闘病の様子を書いた本かと思ったらまったくそうではなく、ご夫婦の楽しい思い出が中心の本でした。
あれ?
・・・・・・
・・・・
・・
読んでいく内に小宮氏との性格の共通点が見つかりました。たとえば初めて親族の死を経験した時臨終の祖父の枕元に怖くて行けなかったこと。認めたくない物には蓋をして見ないふりをするのは僕もよくあること。
しかし人生年を重ねると多くの方の死に出会ってしまうのです。そうするとあれだけ怖かった、認めたくなかった現実を見られるようになっていく・・・。人は最後は死を通して生きざまを見せ、そして天国での平安を教えてくれるものだと僕も思いますが、小宮氏もご両親や師匠の死を通して徐々に受け止められるようになっていくのです。

が、やはり連れ合いは違う。
しかも彼のご夫婦も我が家と同じ子どものいない2人暮らし。「パパ」「ママ」ではなくずっと生涯自分の選んだお連れ合いのままの生活です。
もし同じ立場になって思い出を書けと言われたら僕は何を書くだろう?と想像すると、きっと僕も闘病記は書けないだろうと思います。あまりにも辛くてつらくて・・・。かくのなら楽しかった思い出と連れ合いが生前大事にしていたことを書くでしょう。

小宮孝泰氏のあまりにも優しい性格と愛おしかったお二人の生活は、やはり二人三脚の闘病記です。薬や西洋療法ではない、メンタルを高めNK細胞を活性化させる『楽しい』闘いの記録だと思います。残された日をどうすれば充実のQOLの高い日に出来るだろう? がこの本の趣旨ではないかと思うのです。
人知れずグリーフサポートを自身で続けたと思います。グリーフからの脱却の厳しさは想像できます。しかし、耐えて、結果、今ようやくこれを書けるようになったのだろうな、とお辛かったろう一時と回復しつつある今後を思います。
  1. 2018/12/17(月) 23:40:03|
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段ボールの中のお宝

段ボール箱は便利だ。
1年前に引っ越し、片付いた、とうそぶき生活をしていたが、部屋の隅に段ボール箱があるのを見ぬふりをしているだけ、と言うのは自分自身が一番よく知っていた。
でも見ないふりをすればそれは安易に視界から消えてくれる。

キャンピングカーを手放した。まさに別荘のようだった車内は、衣類、食器、等々様々なものが積んであり、それを部屋に持ち運んだので、部屋の中は1年前に逆戻りだった。
少しずつ片づけをする中、見ないふりをしていた段ボール箱も開けた。中身は自分で入れたから知っている、旅先で集めたパンフレットなどなど…。
そしてその中に驚くようなものがあった。それは修学旅行のしおり。

20181205-01

小田原近郊の小学6年生の修学旅行の行先は日光だ。今も変わらないのかもしれない。
そこには、昭和46年6月11日(金) 7時50分校庭集合。8時57分小田原駅発、と書かれている。日航には13時06分着。そこから、竜頭の滝、湯の湖、戦場ヶ原、華厳の滝、西参道そして旅館、と書かれ、翌日は8時30分に旅館を出発し東照宮を見て小田原には17時59分に着くとなっていた。
さすがに47年前だから記憶は断片だ。雨に煙り、レインコートを着てどこかを見たのだろうがまったく見た内容は記憶にない。ただ、泊まった田母沢別館が(もしかしたら色あせていたのかもしれないが)目に鮮やかな赤いじゅうたん敷きでふかふかと歩いたのを覚えている。平均よりは貧しい母子家庭ながら、母親の旅好きであちこちは連れて行ってもらったが、多くは専売公社の付帯施設だったので、じゅうたん敷きの廊下に感動したのだろう。
残念ながら班分けなどの記録は書かれていない。思い出はここで途切れた。

20181205-02

中学は関西。奈良京都の旅だった。
昭和49年5月14日(火)小田原駅8時48分発の新幹線で京都に行き、そこからバスで奈良へ。法隆寺、南大門、東大寺、二月堂、三月堂、鹿苑、興福寺を経て猿沢の池のほとりの吉田屋旅館に泊まったとある。今では豪華にリニューアルされているのがWebSiteで伺えるが、当時は今でいうビジネスホテルのような感じだったように覚えている。が、猿沢の池の優雅さとあわせて奈良の中で一番の思い出がホテルだ。
翌日は7時30分にホテルを出て、唐招提寺、薬師寺を見て嵐山を通り、苔寺、二条城、金閣寺、銀閣寺を見て美濃屋旅館に泊まった。残念ながらこの名前からはホテルを割り出すことはできなかったが、ホテルに入り、夕食を食べたのちに西京極に行きお土産Timeだったのを覚えている。
翌日は8時30分に旅館を出、西本願寺、平安神宮、三十三間堂、清水寺を見て14時19分の新幹線で帰路、17時24分小田原で閑散とある。
費用は総計13460円。内訳新幹線往復3010円、観光バス4890円、見学料655円、宿泊4000円、弁当700円、その他・雑費205円とある。

20181205-03

高校の思いでは、平戸で食べた「まぐ茶」だ(笑)ヅケにしたマグロがおいしかったなぁ~
それと友人が持っていたミノルタだっけの一眼レフがうらやましかった。
その中のお一人とは昨秋に偶然小田原駅前であったことを記した
草千里と水前寺公園の美しさ、そしてずっと離れていたけれど何となく心に引っかかっていたキリスト教の文化に浸れた喜び、お土産屋さんで試食したザビエルと言う和洋折衷のお菓子がおいしくてそして箱が豪華で…ってのちのち大人になったらごく普通のお菓子だったけれど、家人が喜ぶだろうな、と購入したのを覚えている。

旅のしおりには、全生徒の名前、電話番号、そして保険証の番号が記入されているのは今ほど個人情報をうるさく問わない時代だったからだろう。

そしてもう一つ。高校のクラブ合宿で行った奈良飛鳥の合宿報告書も出て来た。

20181205-04

少人数で行ったからなおさら楽しかったのかもしれない。
歴代の天皇を暗記している先輩がいてスゲーと後輩みんなで驚いたり、2日目はレンタサイクルで石舞台までの坂道をヒーヒー言いながら上がったのを覚えている。柳生の里の民宿は五右衛門風呂だった。食わず嫌いのナスだったが、精進揚げのナスがめちゃくちゃうまくてこれ以降ナスが食べられるようになった\(^o^)/
2日目の宿が唐招提寺のすぐそばで、今のように厳重管理されていない唐招提寺に夕方先輩らと忍び込んだ(笑) 別に忍び込んだわけではなく、当時は門を閉めていないので正面からただ入っただけだが…。
そして暑かった!近鉄西大寺の駅前で喫茶店に入り、アイスコーヒーを頼んだらクラッシュの氷の上にコーヒーをかけて作るアイスコーヒーで妙に感激をした(笑)
くだらん思い出だけだが楽しかった。

柳生の里は木所秀之助さんと言う方が営まれている民宿だった。が、検索してもヒットせず。もうおやめになられたのかもしれない。
一方、翌日の宿は民宿吉村さん。こちらは住所から検索するとすでに廃業なされて一住宅になっている。
しかし見てきた歴史建造物はほとんどが残っている。優雅な土埃の道はきっと立派な車道になっているだろうし、閉館後コソッと忍び込んで見るなんてことは叶わないだろう。しかし、思い出と照らし合わせてみたい欲望も膨らむ、なんだか当時の道筋をたどって行ってみたくなった。
  1. 2018/12/05(水) 22:35:08|
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