LOGOS-喜びを分かち合い、悲しみをともにするために-

死は勝利に飲まれた

2019年2月24日、松田聖契キリスト教会に与えられたみ言葉は、ルカによる福音書 6章27-38節。表記のタイトルの説教を清水靖牧師より受けました。今回も礼拝で説教を聞いた内容を一信徒が思ったこと、話を咀嚼し想像したことを含めて綴ってみます。(なお、新改訳聖書を持ち合わせておりませんので、下記聖書箇所は新共同訳聖書に基づきます。また、公式のメッセージについてはこちらをご覧頂きたいと思います。)
なお、聖書は章節のナンバーも記載いたします。

15:51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
15:52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
15:53 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
15:54 この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。
15:55 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。



キリスト教の暦で今日は顕現節の最後です。いよいよ明日からイエスの苦難と復活を祈る四旬節(受難節)に入ります。
顕現節の最後にこの聖書の箇所が選ばれたことはとても感慨深い事です。(顕現:はっきりと姿が現れること。また、物事をはっきりとあらわすこと。)もともとは、イエスがお生まれになったことが世に知られるのが顕現(公現・エピファニー)ですが、キリスト教的にはイエスが甦ったからこそ宗教として確立し、僕らはそこに救いを見ているわけですから、復活のイエスの話をこの日に聞くことは理に叶っているような気もします。

イエスは私たちの罪のため、十字架の死を経て復活した事に、僕らは喜びと希望を持っています。
キリスト教は2極論的な思想です。天国と地獄、最後の審判で山羊と羊に分けられると書かれている通りです。でも、それは最後の時のみではなく、一事が万事なのかもしれないと牧師の話を聞きながら思いました。
つまりは、十字架の死からの甦り、死にすら勝利したことを信じるか信じないか。キリスト教の奥義を知りたいと思っている人には聖書は理解できるし、斜に構えていると見えないものなのかもしれません。
しかしそれは全ての信じると言うことがそういうものだと思います。

なぜ宇宙の初めがあったのか。ビッグバンのエネルギーはどこから来たのか?という問いかけに偶然だと言う人はいまだ少なからずいます。
とある学者が起こる確率を1兆を1億回掛けた、つまり1兆×1兆×・・・・1兆と1億回する程度と言っていますが、それは人間の体を構成している分子が壁をすり抜けるものより低いとも評しています。もちろん、生まれてから死ぬまで競馬の馬券を買い続けてすべて1等をとる方が話の次元が違うほど簡単でしょうし、明日以降の全ての出来事を預言するのも全く以て簡単なことになります。ですからビックバンを偶然と言うのなら、世にあるすべてがもっと起きやすいことばかりなのですべてが偶然です。試験勉強をしてもしなくても同じ点が取れるほどです、だって出る問題は偶然なんです。試験勉強は問題を想定して勉強するものですから偶然は勉強できないはずです。
逆説的に言えば、つまりは宇宙は神の創造物だと思うのです。偶然ではなく意志により生み出されたもの。
その宇宙を作りたもうた神の意志がなんなのか?を古今から誰もが不思議がり、学びだせるはずのない答えに向かってきました。それは今生きとし生ける人、天才と呼ばれる人から僕のようなものまでの20数億人が、その神の意志を聖書から模索しています。
なんでそんなに多くの人が聖書の中に回答を求めているのか?といえばやはりそこに回答がある可能性が高いからではないでしょうか?
はなから否定する人、わからないけれどわからないから聖書に近づかない人、そしてわからないからこそ聖書を読む人、ここに差異はあります。2極論的な違いを感じます。

生とは何か?死とは何か?復活とは何か?そして復活の時の状態について今日の清書には書かれています。 しかし残念ながらこうだよ、と言うことは僕には全く見当がつきません。それは人智を超越しているのでわからなくて当然だと思うのです。パウロが聖霊の力を借りて書いているからそうなのかもしれませんが、僕には想像がつかない話なんです。
しかし確かに思うのは、偶然にこの地球が生まれ、今現在この時に僕が生まれ、友や連れ合いと出会い、笑顔で一日を過ごし、いい一日だと感謝して眠るのは偶然ではなく、そこに意志があるのです。神の意志と自分の意志ある行動の中で僕らは過ごしている、その意思の源の神はインマヌエル、共にいてくれ、愛してくれる神なのです。

****

工事は着々と進んでいます。喫茶側の玄関が出来つつあります。

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今日は総会のために教会員でない僕はお昼を共にさせて頂き,O姉に送っていただき帰宅しました。牧師ご夫妻には台所のない不自由な生活を強いてしまっていますが、労苦を微塵にも出さない笑顔に救われます。

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来週は教会ニュースとイースター礼拝に向けてのYouTube作成です。
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  1. 2019/03/03(日) 15:39:27|
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